佐賀地方裁判所 昭和33年(ワ)297号 判決 1960年1月26日
原告 小浜鉄雄
被告 国
訴訟代理人 中村盛雄 外二名
主文
被告は原告に対し金三十四万円及びこれに対する昭和三十三年十一月二十三日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払うこと。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分しその二を原告その余を被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金五十二万五千九百五十円及びこれに対する昭和三十三年十一月二十三日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払うこと。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。
一、原告は丙種航海士の免状を持ち、その所有の機帆船観栄丸(十九屯)を運航して福岡県、長崎県等えの薪炭等の運送を業とするものであり、被告は筑後川本流河口の西側の地点で干拓工事を施行しているものである。
二、原告は昭和三十年十二月十四日観栄丸に薪五千束を積載して福岡県大川市に向け河浦港を出帆し途中三池港に一泊し翌十五日筑後川本流をさかのぼつて大川市に向うつもりで進航中、進路を誤り同日午前十時十五分工事中の別紙図面干拓地附近の筑後川支流(通称早津江川)のB点に達した。
三、原告はB点で進路の誤りに気付き直ちに反転し時速五カイリで進航しC点に至り更に東南東方向に進路をとり航行中同日午前十時二十五分頃D点で一回船底に衝撃をうけ、更に稍南に進路を変え満潮時を少し過ぎた海上(満潮時より五パーセントないし十パーセントの引潮)を進航中同三十分頃E点において前記干拓工事により築造された石垣(防潮堤の基礎工事部分)に船底を乗り上げ座礁し、船体は左舷に傾き、エンヂンを始動しても離礁しなかつた。
その後干潮となり、前記石垣が海面上にあらわれその上を歩けるようになつたので原告は、石垣をつたつて陸地に達し助けを求めたけれども風が吹き始めたため波が高くなり援助のための船も近づけず、そのまま一時船体を放置せざるを得なかつた。そして原告は帰船後、同夜座礁したまま時化に会い、満潮とともに船内に侵水し、船体を波に洗われ、生きた心地もなく一夜を過したが積荷の薪を波にさらわれて喪失し、これがため船体が軽くなり且つ侵水したあかを汲みあげたため漸く離礁することができた。
なおこの座礁当時における天候はくもりであつたが視界は良好であつた。
四、原告は座礁現場附近が干拓工事施行中であることも、又このための石垣のあることも気付かず干出推上を進航したため本件事故が発生したのであるが、これは干拓工事施行者である被告において干拓工事施行中である旨通常人が見て明らかな程度の標識を設置すべき義務があり且つ工事中であることを附近の航行者に周知すべき義務があるにも拘らず、この義務を怠り百メートル乃至二百メートルに一本竹棒を立てていた程度の標識しか設置しなかつたことに起因して発生したものである。
五、本件事故により原告が受けた損害及び精神的苦痛に対する慰藉料は次のとおり合計金五十二万五千九百五十円であり原告は右金員とこれに対する訴状送達の翌日である昭和三十三年十一月二十三日より支払済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求める。
(一) 物的損害
1 金十八万三千五百五十円
座礁による観栄丸船体の破損箇所すなわち右側前部の竜骨翼板等のき裂と船体のゆるみの修理代金
2 金十万五千円
時化により積荷中の喪失した薪三千五百束の代金(一束金三十円宛)
3 金三万二千四百円
観栄丸修理代金に充当するため原告が借り入れた金十八万円に対する昭和三十一年一月十五日より一年間の月一歩五厘の利率による利息
4 金六万円
本件事故により観栄丸を一ケ月使用することができずこれがため原告が収益できなかつた金員
5 金四万五千円
本件事故についての海難審判のため肩書住居より門司に二回、現場検証の立会のため事故現場に一回往復するに要した旅費、宿泊料等合計一万五千円と右旅行により十五日間仕事ができず、これがため収益できなかつた金三万円との合計
(二) 精神的苦痛に対する慰藉料、金十万円
事故発生の夜、時化にあい、座礁した観栄丸に機関長と二人在船し生きた心地もなかつたが、この精神的苦痛と今日迄の苦痛とに対する慰藉料
証拠として甲第一号証から第十四号証まで(内第十一、二号証は各一二)を提出し、証人浦川誠、同中村弥四郎、同中村辰次、同小林小五郎、同岩崎秀人の各証言と原告本人尋問の結果を援用し、乙第一号証が本件事故現場である大詫間干拓工事現場の図面であることを認め、検証の結果と被告申請の各証人の証言とを利益に援用すると述べた。被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。
一、原告主張の第一項の事実は認める。同第二項の事実中原告が昭和三十年十二月十五日筑後川本流をさかのぼつて大川市に向うつもりで進航したが誤つて筑後川支流を進航したことは認めるが、具体的な進航位置は知らないし薪五千束を積載していたことは否認する。同第三項の事実中観栄丸が進路を反転して進航したことと同船が干拓用の石垣に座礁したこと及び当時の天候がくもりであつたが視界の良好であつたことは認めるがその具体的な進航路、座礁地点、進航の速さ、潮位、座礁時及びその後の具体的な状況は知らないが原告がその積荷を波にさらわれたことは否認する。同第四項の事実中、被告が本件干拓工事の施行者であることは認めるがその余の事実は否認する、同第五項の事実は否認する。
二、本件事故現場は昭和三十年干拓工事施行の線で五十メートル毎に竹棒の標識が十四本と更に要所要所に長い杉棒の標識が九本たてられ、右の標識はいずれも満潮時にも海面上二ないし三メートル出ていた状態でこれらの標識に囲まれた海面が干拓工事中であることは航行者にとり明らかに認識し得る筈で、且つ被告は公有水面埋立法十一条による公示により周知せしめている。
而も佐賀、福岡両県に連る海岸線一帯は殆んど干拓工事中であることは公知の事実と云い得べく、且つ原告は筑後川本流大川市に過去数年来、度々航行しており、本件現場は工事中であることも又石垣のあることも認識していたもので当初予定せざる筑後川支流に進航したところ当時の潮位は引潮に変らんとする際であつたのであわてて、近距離の進路をとろうとして前記標識を無視し本件工事区域内の海面を航行しても危険はないものと軽信し、平素航行するはずもない工事施行中の海面を進航したのであつて以上の如き原告の過失により本件事故は発生したものである。
証拠として乙第一号証を提出し、証人黒後竜男、同坂本多喜男、同糸山徳次、同徳永八太郎の各証言と検証の結果を援用し、乙第一号証は本件事故現場である大詫間干拓工事現場の図面であると附陳し、甲第一号証は第九号証から第十四号証(内第十一、二号証は各一二)までの各成立を認め甲第二号証から第八号証までの各成立は知らないと述べた。
理由
原告主張の第一項の事実と、同第二、三項の事実のうち原告が昭和三十年十二月十五日筑後川支流を観栄丸で進航していたが進路を反転して進航していたところ同船が干拓用の石垣に座礁したこととは被告の認めるところであり、又原告が大川市には過去数年来度々航行していたことは原告の争わないところである。ところで成立に争いのない甲第一号証、第九号証、第十一号証の一、二、第十二号証の一、二、第十三号証、第十四号証と証人黒後竜男、同坂本多喜男(両証言とも後記信用しない部分を除く)同糸山徳次、同徳永八太郎、同岩崎秀人の各証言と原告本人尋問の結果とを総合すると前記原告主張の第二、三項の事実及び原告は座礁現場附近が干拓工事施行中であることも又別紙図面どおり石垣が築造されていることも気付かず、干出推上を進行したため座礁したこと、最初船底に衝撃を感じた別紙附図D点は昭和三十年度工事施行の個所であつてE点におけると同様の石垣が築造されていたものであること、工事中は主として工事用資材運搬船の作業の目印として石垣(高さ六十糎、下巾四米、上巾三、八米)の両側部分に百メートルないし二百メートル間隔に満潮時一メートルないし二メートル海面上にでる程度の竹棒と又数個所に杉棒がたてられていたが、これらの標識は工事終了後も撤去されず放置されていたこと、その他の部分の石垣の両側にも工事終了後も放置された竹棒が残存していたが倒れたり、流れたり等してその数は少かつたこと、附近海面には他にも漁業用の竹棒が海面にたてられていたので、前記標識との区別が困難であつたこと、公有水面埋立法に基く告示が昭和三十三年一月三十日附佐賀県公報によりなされたが、附近航行者のために特に海上保安庁等に通告する等の手段はとられなかつたことを認めることができ、黒後、坂本両証人の三角板を附着した杉棒が数箇所たてて航路標識としていたとの供述部分は前掲各証拠に照らして俄かに信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
そもそも公有水面において干拓工事を施行する者は、その工事の途中において前記の石垣の如きものが築造されたときには航行者がかような障害物の存在を知りうる程度の標識を設け、もつて座礁等の事故を未然に防止する注意義務を負担しているものというべきであるところ、前記のような標識を設けただけではまだこの注意義務は全うされていないといわなければならない。
被告は公有水面埋立法に基く公示により、本件事故現場が干拓工事中であることを周知しているから前記認定の程度竹棒等の標識により充分干拓工事中であることを認識し得ると主張するが公有水面埋立法第十一条に基く告示は施行者の如何を問はず埋立免許権者である知事が行うもので、この告示は附近航行者に対し水路に障害物があることを警告するため行はれるものでなく主として同法に基く公有水面埋立権についての権利関係を明確にすることを目的とするものと解するのが相当であり、右告示によつて附近海上航行者に対する水路の障害物についての危険告示があつたものとは認め難く又前記認定のとおり竹棒等の標識は危険予防のためというより主として干拓工事の資材運搬船の目印としてたてられたものが工事終了後も放置されていたと云うに過ぎず、水路の障害物の存在を警告するための標識としては不充分であつたということができる。又原告が本件現場に干拓工事が行われ且つ、前記石垣が築造されていることを知りながら近距離の進路をとろうとして航行したため本件事故が発生したものとは到底考えられない。
とすれば本件事故は被告の干拓工事についての周知方及び工事現場の標識が不充分であつたため石垣が構築されていることに気付かないまま原告が進航したことによつて発生したものであり、この事故により原告が受けた損害は被告において賠償しなければならないものである。
然しながら本件現場を含む佐賀、福岡両県に連る海岸線中には一般的に干拓工事施行中のところが多数あること(具体的な工事進行程度及び範囲を除く)は公知の事実と云い得べきであり、且つ原告が過去数年間大川市に向け航行したと云う事実と前記のとおり不完全ではあつたが、竹棒等が附近海面に立てられていた事実とを併せ考えると、原告において最初船底に衝撃を感じた別紙附図D点において少くとも干拓工事に随伴してできた障害物であるかも知れないと考えて一時停船して探索や測深をするとか後退するか又は減速して航行する等原告において水路調査に慎重を期しておれば本件事故の発生を未然に防ぎ得たであろうし、たとえ座礁したとしても損害の発生を最小限度に止め得たに拘らず、不注意にも減速することなく前記のとおり、時速五カイリで別紙図面Eの方向に航行したこととあいまつて本件事故が発生したと云うべきであり、被告の賠償責任額を定めるに当つて原告の右過失は当然斟酌せらるべきである。
よつて損害賠償額及び慰藉料支払額について判断するに原告本人尋問の結果により真正に成立したことが認められる甲第三号証、証人中村弥四郎の証言により真正に成立したことが認められる甲第四号証、証人中村辰次の証言により真正に成立したことが認められる甲第五号証、証人小林小五郎の証言により真正に成立したことが認められる甲第六号証と前掲各証人の証言及び原告本人尋問の一部を総合すると本件事故により原告はその所有する観栄丸の右側前部の竜骨翼板等にき裂が生じ、船体の全般がゆるむ等の損傷をうけこれが修理のため十八万三千五百五十円の支払を余儀なくされ、右代金の支払いに充当するため原告は十八万円を中村辰次、小林小五郎より借り受け、これに対する昭和三十一年一月十五日から向う一年間の月一歩五厘の利率による利息三万二千四百円を支払つたこと、事故発生の夜、時化にあい、一束三十円の薪三千五百束を波にさらわれて喪失し、十万五千円の損害をうけたこと、事故発生当時原告は月に一回、大川市方面に航行し、油代、人件費等を控除し一航海に少くとも一万九千円の収益をあげていたが、観栄丸の修理期間中約一ケ月間運航の用に供し得ず、この得べかりし利得一万九千円を喪失したこと、本件事故についての海難審判のため肩書住居より門司まで二回、現場検証の立合のため事故現場に一回往復したため、旅費、宿泊費等一万五千円を支出し、この間約十五日間仕事ができず、前記収益し得た半月分の所得九千五百円を喪失したことが認められ、原告本人の一ケ月約六万円の所得があつた旨の供述は俄に信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
とすれば右合計三十六万四千四百五十円が被告の過失に起因する本件事故により生じた原告の損害であるが、原告の前記過失を参酌するとき、被告の原告に対する損害賠償額は金三十二万円を相当と認める。
また原告は前記認定のとおり座礁した船中で時化のなかを一晩過し、これがため肉体上、精神上多大の苦痛を受けたことは経験則上明らかであるが叙上事故発生の原因等諸般の事情を参酌して考えるとき、その慰藉料の額は金二万円が相当である。
よつて被告は原告に対し、損害賠償額金三十二万円及び慰藉料金二万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三十三年十一月二十三日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告の本訴請求は右限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 原田一隆 山本卓 岩川清)
平面図<省略>